続笹百合
先日の笹百合が咲きました。![]()
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昨日からの大雨で心配しておりましたが、ひっそり、そう人知れずひっそりと咲いていました(こうゆう表現がぴったりの感じです。)但し香りは馥郁と上品な香りが周囲に漂っておりました。
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昨日からの大雨で心配しておりましたが、ひっそり、そう人知れずひっそりと咲いていました(こうゆう表現がぴったりの感じです。)但し香りは馥郁と上品な香りが周囲に漂っておりました。
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Comments (0)先日、比叡山横川華芳谷の境内に自生する笹百合を分けてもらってきました。
(笹百合は5〜6年前も頂いたのですが、2年位すると咲かなくなりました。原因は気候の所為か土の所為かどっちだろう?とその時おばちゃんに聞いた事がありまして、じゃここの土を持って行きなさい!と云われてお山の土を鉢に移しておきました。)
去年も約束の日に行きましたら2〜3日前迄あった笹百合が猿に食べられてしまい断念した経緯があり心配しながらの訪問でしたが今年は鹿に猿にも食べられてない笹百合が15〜6株可憐な蕾をつけていました。(おばちゃん曰く・新芽のうちは鹿に蕾になると猿に食べられてしまう事が多いらしいのですが根(球根)は残っているのです。)
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今回は実生も頂いてきました。(実生(みしょう)とは、種子から発芽したばかりの植物のこと。子葉や第一葉のある時期を指し、一般にいう芽生えのこと。転じて種子から発芽させて新しい植物体(苗)を得ることをいい、また広義にはそうして得られる成長した植物体をも指す。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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Comments (0)久しぶりに京都にでましたので焼き肉の鹿六を紹介したいと思います。(私の知った当時は万福と云う名前でした。きっかけは祇園のホステスさんに紹介されて何度か同伴前のご飯食べに利用した記憶があります。)
京都・祇園にふさわしい、昭和2年建造の町家造りの元料亭、その面影をそのままに残す家屋で最高のひとときをお楽しみください。ぐるなび・京都版より
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建物とか佇まいと云うか雰囲気は知った当時と全く同じでした(客層も同じようでしたが、祇園のホステスさんの同伴前の食事風景とか上役と女子社員etc・・・ただ昔と一寸違うかな?と思ったのは観光客風の女の子の3人連れかな?)
飲み物のメニューを見て変わったビールが有るので(京都限定の京都1497)注文して見ましたが私には余り美味しくなかった(頼りなげなビールでした。)
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葱のみじん切り塩が片面に乗っていると焼き具合の見当がつかなくて真っ黒に焦がしたり冷たかったり苦労しましたが素材そのものは良い所為か同伴者は美味しい美味しいの連発でした。締めは黒ゴマのお粥にキムチを頂きました。
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食事も終わりこの店の売りである二階に上り私と1人はコーヒーとフルーツタルトとお餅の3種をもう1人は焼酎の水割りとつまみを頼み3人して勝手な事を言い合いのんびりくつろぎました。![]()
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思いっきり、日本の風情を楽しめながら食べれる、食材もサービスも、レベルは高い。
その分料金もちょっと張りますが、その高さを感じさせないのは昔も今も変わりません。コストパフォーマンスが良いということでしょう。
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暫く歩いていると(相変わらず坂道です。)足下を見ると湧水らしくじわじわ水が流れて道の真ん中辺りで水たまりが出来ております。その水が流れて行きます。(ふーん!!こんなんが川を作って行くのかなぁ〜と妙な感心をしながら歩いていると・・・)
浄刹・・・何て読むのだろう? 結界跡・・・???
じょうさつ?じょうせつ?? けっかいあと?けっかいせき???
(帰ってからぐぐりました。1. じょう?せつ【浄刹】1 清浄な国土。浄土。2 清浄な寺院。また、その境内。
1. けっ?かい【結界】1 仏語。教団内の僧が戒律を犯さないように一定の区域を制限すること。また、その区域。)
要するに比叡山と下界の境界ですかね。
急に道が平坦になりました。
現在の結界に出て来ました。\(^O^)/ お疲れさまでした。(自分に自分を労いました。(・_・;) )
ケーブル乗り場の駐車場まで500mです。さぁ〜もう一踏ん張りです。
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明王堂に行く途中で見かけたのが郵便局の人が〒の袋をぶらさけてのんびり歩く姿です。(ふ〜ん郵便局も大変だな!!多分、延暦寺の駐車場から歩いてくるのでしょう。)
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阿闍梨様の食事席です。
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食事の後阿闍梨様の居間(?)に行きお点前のお接待を受け(その時のお菓子が可愛らしいニンジンだったので思わず!)
今日は行者道を行くので挨拶をして早々に退散しました。(阿闍梨様は落ち葉で足を滑らさないように気をつけて行きなさい!!と有り難いお言葉を頂きました。)
先ず、明王堂に挨拶をしてから愈々出発ですが余り景色が良いので西大津方面(近江京方面でした。)目の前の台は100日回峰行の行者さん用です。
明王堂の下に僧坊・法曼院(ほうまんいん)があり、更に急坂を下ると大乗院に至る。愚管抄*(ぐかんしょう)を著した慈円(じえん)が学問興隆に励んだところで、親鸞(しんらん)は出家した後、最初にここで修行を積んだという。
大乗院を更に下ると、鬱蒼とした林の中に中国風の山門が現れ、その奥に善住院がある。人影がなく、ひっそりとした佇まいで、出家して俗世界と隔絶した修行の地にふさわしい。
犬が門番をしていました。(離れてから、尻尾を振りながら吠えられました。)
今迄は此処までは何度か来ましたが、さあ〜これからが、行者道です!!かなり急坂です。
途中見つけました。もしかしたら、こういうお地蔵様(?)を拝むのかな??
結構、道は細く急坂!!普段の怠惰な生活が恨めしくなります(・_・;)
裳立山の紀貫之のお墓のそばまで来ましたが、無動寺から1.4Kですか!!ちなみに紀貫之をググって見ました。
紀貫之は蔵人望行の子として貞観年代に生る。
和歌のほか書道にも優れていた。延喜五年(九〇五)御書所預りとなり、越前権少椽、内膳、典膳、少内記から大内記歴任、従五位下となる。
紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑らと勅命によって古今和歌集を選び、貫之がその序を書いたがこれで大に有名になった。
完成を見て天皇喜ばれて貫之の歌百首を加えるように指示されたという。
加賀美濃介国司の次の役となり、大監物、右京亮、続いて土佐守になった。
性温雅廉直、庶政をおさめ善政を行うて徳望あり、土佐在任中余暇を求めて『新撰和歌集』の仕上げをしたことは別項高知大学松村教授の記述にもある通りで、これも醍醐天皇の勅命によったもの。
京都に帰って後玄蕃頭従五位上になり、さらに従四位下から木工権頭になったが、天慶八年(九四五)五月十八日六十歳で逝いた。
万葉集紗鈔、及家集の著は有名であり、後人三十六歌仙を選ぶに当って貫之が第一に推され、柿本人麿に配し和歌の祖宗または歌聖とされた。
その家系として伝えられるものは孝元天皇三代武内宿弥四代の孫紀角から出て
おり、一門歌道に緑深く名門であった。
かくてこの孤独孤高を持した詩人貫之朝臣は、その徳を慕う人々によって大津市南滋賀に福王子神社として神に祀られ、
その墳墓は洛東比叡山裳立(もたて)山に明治元年建立され、松籟のなかに「木工頭紀之貫朝臣之墳」の字とともに傾いたまま、寂しくしずかに然して国府の空をなつかしむ如くである。
(国府村史より・昭和三十六年)
ケーブルカーでの裳立山駅はかなり上の方だけど全長2Kのうち1.4Kだとするとかなり下の方だなとおもいました。(もっとも、550m先だけど・・)
急坂は続きますが、お地蔵様(?)が・・・眼をキョロ、キョロさせながらカメラを構えながら足下をみながら、息を切らせながら・・・大変です。
続きます。
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