2010/4/12 月曜日

雄琴城主!和田秀純 (鸚鵡籠中見聞録より転載)

Filed under: 大人の楽しみ — makun @ 18:48:53

鸚鵡籠中見聞録に書いてあった記事です。(ぐうたらな者でブログ2つは負担です)
以前聞いた和田一族の墓の見学&屋敷跡が第一目的の散歩です。何故、和田一族の事が気になったかと云うと何気なしに読んだ本に出ていたからです。
最近、比叡山高校教諭和田頴氏方で出てきた古文書で明らかになった。
 和田さんの先祖和田秀純は現在の雄琴方面に勢力をもっていた土豪で、
これを味方にひき入れた光秀が和田秀純あてに、:::延暦寺攻撃は決して
おどしではない。・・・旨の事を書き送っている。この光秀の手紙が出てきた事に
ついては、わたしの叡山ゆきの前後に新聞に出た。
司馬遼太郎(叡山の諸道より抜粋)
何故か雄琴の土豪という表現が親しみを感じて(雄琴が生活の中心です!)出来る限り調べて見たくなりました。(急に郷土史家です。)
和田家文書(わだけもんじょ)雄琴所有者個人所在地大津市雄琴二丁目時代室町
和田家は雄琴に勢力をはった土豪で、室町時代近江守護六角家に仕えた家柄というが、
詳細は不明である。明智光秀が和田秀純に宛てたこの三通の書状は、
山門焼き討ちに関る内容から、元亀2年(1571)・同3年のものと考えられる。
なかでも、9月2日付けの書状からは、山門焼き討ちを前に光秀が行った雄琴の和田氏や
仰木の八木氏への工作が知られ、『信長公記』や『言継卿記』など記録や伝聞資料でしか
知られていなかった山門焼き討ちを伝える一次資料である。(大津市指定文化財)
江源武鑑「江源(こうげん)」とは「近江源氏」の略です。 
江源武鑑の信憑性
内容は見ていただけばわかりますが、通説との年号のくい違いは結構あります。
また聞いたことのないような人物も多数登場します。そのほか天狗や妖怪の類、超常現象なども
頻繁に現れ、おや?と思うような場面も何度もあります。ただこういったことは古文書にはよくあることです。(と云う事ですからあまりかたく考えないで下さい。)
元亀元年六月の江北姉川合戦について目賀田摂津守入道頼鬼、浅井土佐守入道時雲の
両名が日記に記した内容である。
元亀元年十一月小二十四日
味方では雄琴城主和田中務丞秀純が深入りして負傷し十死一生の状態であるとのことである。
屋形義秀公はこれをお聞きになって和田の働きに感じられ即座に自筆の感状を与えられる。
この和田の働きとは今城の二の丸に乗り込んで敵十二人と一人で戦い、
十四ヶ所も傷を負いながらついに味方の陣に帰ったということである。
元亀四年(癸酉) 今年の冬改めて天正元年と号す 八月小
十六日 信長が志賀郡の城々、雄琴、堅田、和爾、木戸、比良五ヶ所の城を攻める。
観音寺城から援軍を送るのは困難であるので落城する。
五ヶ所の城主は雄琴城が和田中書秀純三百騎、堅田城が山田民部少輔忠宗八百騎、
和爾城が和爾丹後守秀氏四百騎、木戸城が木戸越前守秀資三百騎、
比良城が田中左衛門尉二百騎である。
これらが城に立て篭もるが信長が四万余騎にて戦うと木戸越前守、
田中左衛門の両人が寝返り、さらに残りの城は屋形の援軍を待っても湖上からでは
遅くて間に合わないため開城して船で観音寺城へ退却する。」
これにより信長は志賀郡を手に入れ五ヶ所の城に家来等を配置する。
等々の記述を見るとどうやら和田秀純という人はかなりの豪傑で部下が約300騎位ですね。!!
そして、最初は浅井長政に味方してその後明智光秀の家臣になりその後はどうなったのかは分かりませんがお墓を見る限りでは没年が慶長8年12月3日となっています。(慶長8年の2月には徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けています)
歴史の面白さと言ったら良いのか?最初は小谷城の浅井長政の勢力下にいて、織田家と戦いその後、明智光秀の旗下に入り叡山の焼き打ちに参加して、没年が慶長8年という事は明智光秀の没落後はどんな方法で連綿と子孫を残したのか?そしてその子孫が約400年後には叡山高校の教諭になるなんて・・・和田秀純の家を残す為の苦労と400数十年後の皮肉な結果を思い巡らし妙に今日の明るい天気が眩しかった。

2009/12/18 金曜日

竹邑庵太郎敦盛その2

Filed under: 大人の楽しみ,食べ歩き — makun @ 0:42:43

12月に入り寒くなりました。皆様は如何ですか?今日は京都の帰りにあまりにも寒いので竹邑庵太郎敦盛を思い出しました。
ナビに入ってないと看板を見落としてしまいます。kannbann.jpgiriguti2.jpg
いつ見ても何処にも無い看板ですsobakusuri.jpg
瀟洒な入り口の暖簾をくぐり中に入ったら2持30分近くのせいかお客様は誰もおりませんでした。私一人アンティークな家具に囲まれた座敷に独りポツンと座りました。店名と同じ敦盛蕎麦を注文して暫くしたらそば湯が出て来ました。(私好みの薄い感じのそば湯です。)フッと見るとそば湯の入れ物に有次の名が
ヘェー今迄気がつかなかったなぁ〜aritugu.jpg(実は私の家の鰹節削り、包丁、まな板まで一式有次の製品です・今では錆だらけですが有次に持っていけば、何年経っても研いでくれます。)
蕎麦のメニューの裏は飲み物のメニューになっていました。menyu_.jpgIMG_2916.JPG
出汁と九条葱が来ました。出汁の味が濃い所為か卵の黄身と梅干しはどうしますか?と聞かれて卵は結構ですと断り梅干しだけにしてもらいました。dasi.jpg
九条葱の中に濃厚なダシを入れ梅干し(蜂蜜梅)を交ぜて潰し後は蕎麦を待つばかりです。soba1.jpg
soba2.jpgsoba3.jpg
寒い時はダシの中の梅干しの甘酸っぱさがほど良い味加減になりました。今日は誰もいないので蕎麦の下の簀子を上げて下の湯を写して見ました。(蕎麦の下は9枡になっており湯がはって有り蕎麦の真下辺りは大きなスペースになって湯気がもうもうとしています。)

2009/12/4 金曜日

伊崎寺

Filed under: 大人の楽しみ,景色・景観 — makun @ 1:17:28

12月に入ったというのに小春日和の暖かい日に伊崎寺にお参りに行ってきました。入り口近くの牧場の馬も外に出ていました。____.JPG駐車場も1年前からはかなり整備されていますが、庫裏の大改修の為か材木の山です。
______0.JPG______1.JPG駐車場から約800m位の山道を歩きますが1年半前は木の根っ子がむき出しでそのうえに大きな岩がゴロゴロして歩きにくい事歩きにくい事、でも今は道に土を撒きかなり歩きやすくなりました。入り口付近の石のお地蔵さん?仏様?も高い所に移転してすっきりしました。______.JPG________.jpg____1.JPG
道程の中ほどまで来ると右前方に出迎え不動と書かれたの板きれが見えてきます。
______________.JPG__________2.JPG__________1.JPG
言い伝えに因ると役行者がここまで来たら猪と出会い猪に導かれて不動明王に会われたとか(現在の棹飛び堂内の大巌)参詣に来た人は此処で立ち止まり両手を合わせて通り過ぎていきます。
暫く歩いて行くと前方の方に工事中の建物が見えて来ました。かなり急な石段(自然石)を20段くらい降りると伊崎寺境内です。石段脇のちょっとした隙間に運搬車が置いてありました。(比叡山の僧侶仲間の餞別だそうです。)
unnpannsya.JPG________.JPG
石段を降りてすぐにトイレが有りそのまま右に折れていくと工事中の庫裏の真ん前に出ます。____2.JPG
工事現場の中に木彫のお地蔵さんを発見!!お地蔵さんの顔を見ていたら天台ネットの一隅を照らすの中にある今日の一言のバナーに描いてあるお地蔵さんのそっくりに見えてきました。kiboriJPG.JPG
庫裏の前を通り過ぎて石段を数段上がると左手に荼枳尼天(だきにてん)を見て正面に本堂があります。dakinitenn.JPGhonndouJPG.JPG
本堂でお参りをしてから本堂の右脇に棹飛び堂と書いてある方に行きますと正面に地主神社がありま。叉本堂の右側の縁石の部分に大きめの穴があいており其処に小さな鳥居があります。鳥居の正面に小さなお不動様が安置してます。龍穴です。・言い伝えに因ると竹生島?(だと思った)と繋がっており龍が自由に出入りする穴だそうです。____2.JPGryuuJPG.JPGjisyuJPG.JPG
地主神社を通り過ぎてなだらかな石段を降りていくと棹飛び堂です。棹飛び堂のご神体は赤い色した大巌です。(この大巌まで役行者は猪に導かれて来たのです。大巌そのものがお不動様であると役行者が言ったとか!)________1JPG.JPG____________.JPG
棹飛び堂から琵琶湖を見ると12月に入ったのに珍しく穏やかな小春日和です。(普段は強風で寒いのは半島の突端だから当たり前ですね)あまり穏やかなのでエリとか沖ノ島を撮りました(因に日本国内で淡水の島で人が居住している唯一の島らしいです。)__________________1.JPG______________________2.JPG
古は伊崎半島も島だったらしいです(一説によれば島から地続きになったのは明治以降みたいです。)ですから山門は琵琶湖側に向いており棧橋まであります。____.JPG______.JPG
sannbasiJPG.JPG
今年の夏に友達とボートで参詣した時に琵琶湖側から撮った伊崎半島の遠景です。
____________.JPG
hukokoroemonoJPG.JPGhukokoroemono2.JPG
何年か前に一般人が無断で棹から飛び降りて死んだ人がいたって新聞に出ていたが、(それ以来棹の根元は鉄条網で入れないようにしてありましたが)居るんですねこうゆう不心得者が・・・
最後に____.JPG

2009/11/14 土曜日

お久ぶりです。

Filed under: 大人の楽しみ,食べ歩き — makun @ 23:42:53

約1年半ぶりです。今回は東京出張での食事、夜行寝台列車での駅弁です。
用事は15:00頃終わり、昼食は浅草の並木の蕎麦を手繰りました。namiki2.jpgnamiki.jpg
天ざるを食べ終ってから写真を忘れた事に気がつき慌ててザルを追加注文しました。soba1.jpgsoba2.jpg
久々に関東の蕎麦を食べた感想はダシがしょっぱくて(塩辛くて)・・(通の人が少しきり汁をつけずに食して云々は通でなくても当然だと思います。)蕎麦自体は新蕎麦のせいもあり香り高く大変美味しく頂きました。叉、天ざるの時は温かいダシでざるの時は冷たいダシは感心しましたが塩辛いのが難点で山葵と蕎麦のみでたべました。(坂本の鶴喜の甘いダシに慣らされてしまったみたいです。かと云っても鶴喜のダシもほんの少しきりつけませんが・・・)
その後浅草寺にお参りをしてその界隈を徘徊しました。
浅草寺の仁王様は良く写真に載っておりますがその後の大わらじは少ないと思いますのでwaraji1.jpgwaraji.jpgwraji2.jpg
浅草の舟和本店で買った芋ようかんの賞味期限は翌9日なのに上野の13番線近くの売店では11日の賞味期限でした。(フーンきめの細かい事をさり気なくしてるなぁ〜

北陸が22:45頃に入線してきました。矢張り5〜6人くらいの人が撮影に訪れています。13ho-mu.jpg
夜行寝台列車は初めてですが最近の(昔のも知らないが)内部はコンパクトに出来てテレビ・BGM迄完備しています。hokuriku2.jpgnajibu1.jpgnaibu1.jpgnaibu2.jpgnaibu3jpg.jpgnaibu.jpgkippu.jpgシャワー利用券と個室のカードキーです。シャワールームに行ったら2室とも使用中でした。syawa.jpg
仕方ないので東京駅で予約注文した極附弁当を開きました。bennto1.jpg
2段重ねの豪華な弁当です。bennto2.jpgbennto3.jpgbennto4.jpgbennto5.jpgビールを飲みながらお品書きを読み下しましたが感想は宮城県の石井稔さんのお米を富士山麓の天然水を使用して炊き上げたご飯が1番旨かった。
結論は駅弁は(子供の頃からすり込まれた)崎陽軒の焼売弁当、横川の釜飯に勝る物は無しでした。

2008/6/22 日曜日

続笹百合

Filed under: 大人の楽しみ — makun @ 22:32:48

先日の笹百合が咲きました。4_1.jpg
5_1.jpg
昨日からの大雨で心配しておりましたが、ひっそり、そう人知れずひっそりと咲いていました(こうゆう表現がぴったりの感じです。)但し香りは馥郁と上品な香りが周囲に漂っておりました。
1_2.jpg
2_2.jpg

2008/6/15 日曜日

笹百合

Filed under: 大人の楽しみ — makun @ 23:55:04

先日、比叡山横川華芳谷の境内に自生する笹百合を分けてもらってきました。
(笹百合は5〜6年前も頂いたのですが、2年位すると咲かなくなりました。原因は気候の所為か土の所為かどっちだろう?とその時おばちゃんに聞いた事がありまして、じゃここの土を持って行きなさい!と云われてお山の土を鉢に移しておきました。)
去年も約束の日に行きましたら2〜3日前迄あった笹百合が猿に食べられてしまい断念した経緯があり心配しながらの訪問でしたが今年は鹿に猿にも食べられてない笹百合が15〜6株可憐な蕾をつけていました。(おばちゃん曰く・新芽のうちは鹿に蕾になると猿に食べられてしまう事が多いらしいのですが根(球根)は残っているのです。)
0.jpg 
1_1.jpg
2_1.jpg 

今回は実生も頂いてきました。(実生(みしょう)とは、種子から発芽したばかりの植物のこと。子葉や第一葉のある時期を指し、一般にいう芽生えのこと。転じて種子から発芽させて新しい植物体(苗)を得ることをいい、また広義にはそうして得られる成長した植物体をも指す。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
3_1.jpg

2008/6/4 水曜日

続、無動寺坂

Filed under: 大人の楽しみ,景色・景観 — makun @ 14:01:00

19.JPG
暫く歩いていると(相変わらず坂道です。)足下を見ると湧水らしくじわじわ水が流れて道の真ん中辺りで水たまりが出来ております。その水が流れて行きます。(ふーん!!こんなんが川を作って行くのかなぁ〜と妙な感心をしながら歩いていると・・・)
JPG.JPG
25.JPG
25_1.JPG24jPG.JPG
浄刹・・・何て読むのだろう?  結界跡・・・???
じょうさつ?じょうせつ??  けっかいあと?けっかいせき???
(帰ってからぐぐりました。1. じょう?せつ【浄刹】1 清浄な国土。浄土。2 清浄な寺院。また、その境内。
1. けっ?かい【結界】1 仏語。教団内の僧が戒律を犯さないように一定の区域を制限すること。また、その区域。)

要するに比叡山と下界の境界ですかね。22.JPG
23JPG.JPG
急に道が平坦になりました。
26_1.JPG
現在の結界に出て来ました。\(^O^)/ お疲れさまでした。(自分に自分を労いました。(・_・;) )
27_1.JPG
28.JPG
ケーブル乗り場の駐車場まで500mです。さぁ〜もう一踏ん張りです。

2008/6/3 火曜日

無動寺坂

Filed under: 大人の楽しみ,景色・景観 — makun @ 22:09:03

NO1JPG.JPG今日は久しぶりの五月晴れの気持ちの良い日です。
明王堂に行く途中で見かけたのが郵便局の人が〒の袋をぶらさけてのんびり歩く姿です。(ふ〜ん郵便局も大変だな!!多分、延暦寺の駐車場から歩いてくるのでしょう。)yuubinnkyokuJPG.JPG
NOjpg.jpg
阿闍梨様の食事席です。
NO2jpg.jpg
食事の後阿闍梨様の居間(?)に行きお点前のお接待を受け(その時のお菓子が可愛らしいニンジンだったので思わず!)
今日は行者道を行くので挨拶をして早々に退散しました。(阿闍梨様は落ち葉で足を滑らさないように気をつけて行きなさい!!と有り難いお言葉を頂きました。)
先ず、明王堂に挨拶をしてから愈々出発ですが余り景色が良いので西大津方面(近江京方面でした。)目の前の台は100日回峰行の行者さん用です。
1JPG.JPG
3JPG.JPG
2JPG.JPG
IMG_1049.JPG
4.1JPG.JPG
明王堂の下に僧坊・法曼院(ほうまんいん)があり、更に急坂を下ると大乗院に至る。愚管抄*(ぐかんしょう)を著した慈円(じえん)が学問興隆に励んだところで、親鸞(しんらん)は出家した後、最初にここで修行を積んだという。
5.JPG
5.1JPG.JPG
大乗院を更に下ると、鬱蒼とした林の中に中国風の山門が現れ、その奥に善住院がある。人影がなく、ひっそりとした佇まいで、出家して俗世界と隔絶した修行の地にふさわしい。
犬が門番をしていました。(離れてから、尻尾を振りながら吠えられました。)
今迄は此処までは何度か来ましたが、さあ〜これからが、行者道です!!かなり急坂です。
6.JPG
7.JPG
8JPG.JPG
9.JPG
10.JPG
途中見つけました。もしかしたら、こういうお地蔵様(?)を拝むのかな??
11.JPG
12JPG.JPG
結構、道は細く急坂!!普段の怠惰な生活が恨めしくなります(・_・;)
14.JPG14.1JPG.JPG13JPG.JPG
裳立山の紀貫之のお墓のそばまで来ましたが、無動寺から1.4Kですか!!ちなみに紀貫之をググって見ました。
紀貫之は蔵人望行の子として貞観年代に生る。
和歌のほか書道にも優れていた。延喜五年(九〇五)御書所預りとなり、越前権少椽、内膳、典膳、少内記から大内記歴任、従五位下となる。
紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑らと勅命によって古今和歌集を選び、貫之がその序を書いたがこれで大に有名になった。
完成を見て天皇喜ばれて貫之の歌百首を加えるように指示されたという。
加賀美濃介国司の次の役となり、大監物、右京亮、続いて土佐守になった。
性温雅廉直、庶政をおさめ善政を行うて徳望あり、土佐在任中余暇を求めて『新撰和歌集』の仕上げをしたことは別項高知大学松村教授の記述にもある通りで、これも醍醐天皇の勅命によったもの。
京都に帰って後玄蕃頭従五位上になり、さらに従四位下から木工権頭になったが、天慶八年(九四五)五月十八日六十歳で逝いた。
万葉集紗鈔、及家集の著は有名であり、後人三十六歌仙を選ぶに当って貫之が第一に推され、柿本人麿に配し和歌の祖宗または歌聖とされた。
その家系として伝えられるものは孝元天皇三代武内宿弥四代の孫紀角から出て
おり、一門歌道に緑深く名門であった。 
かくてこの孤独孤高を持した詩人貫之朝臣は、その徳を慕う人々によって大津市南滋賀に福王子神社として神に祀られ、
その墳墓は洛東比叡山裳立(もたて)山に明治元年建立され、松籟のなかに「木工頭紀之貫朝臣之墳」の字とともに傾いたまま、寂しくしずかに然して国府の空をなつかしむ如くである。
(国府村史より・昭和三十六年)
ケーブルカーでの裳立山駅はかなり上の方だけど全長2Kのうち1.4Kだとするとかなり下の方だなとおもいました。(もっとも、550m先だけど・・)
15JPG.JPG
15.1JPG.JPG
16.JPG
17.JPG
18.JPG
急坂は続きますが、お地蔵様(?)が・・・眼をキョロ、キョロさせながらカメラを構えながら足下をみながら、息を切らせながら・・・大変です。
続きます。

2008/5/28 水曜日

明王堂での食事

Filed under: 大人の楽しみ,食べ歩き — makun @ 15:27:41

今迄の昼食です。(一応(・_・;)精進料理だと思います。)
1.jpg
2.jpg
3.jpg
5.jpg
6.jpg
7.jpg
8.1jpg.jpg
8.2jpg.jpg
8.jpg
味は、旨い!!。(一緒に行った複数の連れが異口同音に、美味しい!!って云っております。)
本当はもっといっぱい写真にと思ったのですが、納所の○○さんに叱られて内緒なのです。(阿闍梨様・修行僧さん達には許可を受けております。)
shokugokan.JPG
全員が食事を終わるまで(無言で!!)待っておりますので、同伴者達の感想は(結構食事が遅いので)美味しいけど焦ってしまう・・友達同士で食べたらもっと美味しいわ!!
次回は無動寺から坂本までの行者道を・・と思っております。(約2キロ時間にして70分くらい。)

2007/10/20 土曜日

「堂入り」

Filed under: 大人の楽しみ — makun @ 23:59:40

 先日、千日回峰行の最難関である堂入が行われたと云うニュースを聞いて堂入の最中は明王堂はどうなっているのかな?縄張りがしてあって傍にも寄れないのかな?それとも・・・と疑問が湧き「堂入り」が終わる前に参拝したいと思っていました。
昨日(19日)は雨で参拝できず、ようやく晴れた今日明王堂に出かけました。
12;00のケーブルカーに乗り明王堂に着いたのは、12:30くらいでした。
先ず最初に閼伽(あか)井をのぞいたら普段はカラカラになっていたのが水が満々と蓄えてありました。
1387.jpg1388.jpg
普段は板なども置いてありませんでした。やはり、午前2時にお不動様にお水を上げるのに板が必要なのかな・・・

明王堂の方に行ったら、普段は開け放してあるお堂にカンヌキが掛かっておりました。
1390.jpg
1391.jpg
1411.jpg

しかし静かです。本当に静かです。お堂の中で明日から阿闍梨様になる人の難行が行われているのかと思うと拝まずにはいられませんでした。(拝)
神妙な気持ちになりお不動様の真言を心の中で唱えて、いっときしてから法蔓院、護摩堂の方は、どうなっているのか気になり下におりて行きました。
法蔓院の玄関には沢山の靴が見えましたので‥信者のお食事なんだなぁ〜と時間をおもいだしました。(13:00過ぎです。)
明日の未明は満行だから信者の方もかなり大勢いるらしく下足が沢山あります。1398.jpg1399.jpg

1397.jpg

護摩堂の方は『夕食と朝食は大乗院にてお渡しします』の張り紙がありました。

1401.jpg

1404.jpg

きっと信者の方々は21日未明に阿闍梨様をお迎えする為に来ているのでしょう!(かなり寒いと思います。信者の方々も結構大変だな!と妙な感心をしてしまいました。)
 その後、大乗院とわらじを撮ってから明王堂の裏口を撮影して、もう一度拝み(今度は行者様に無事満行出来ますように!祈念しました。)帰途につきました。
1408.jpg

07.10.21  22:49
無事満行おめでとう御座います。
星野さん「堂入り」満行
千日回峰行 断食不眠9日間(京都新聞電子版が消えた時の為に)
「堂入り」を満行して出堂した星野さん。両脇を抱えられて自坊へ向かうなか、信者が手を合わせる(21日午前3時8分、大津市坂本本町・延暦寺明王堂)=代表撮影
 天台宗の荒行「1000日回峰行」で断食、断水、不眠、不臥のまま9日間、堂にこもる「堂入り」の行に入っていた星野圓道さん(32)=延暦寺大乗院住職=が21日未明、満行して比叡山の無動寺谷・明王堂(大津市坂本本町)を出堂した。堂入りの満行は6年ぶり、戦後12人目。

 午前1時、星野さんは本尊の不動明王に供える水くみ「取水」のため、堂から姿を現した。約40分かけて近くの閼伽井(あかい)を往復し、再び堂に入っって最後のお勤めをした。このあと、堂に隣接する法曼院の井深観譲住職や信者が堂へ入った。井深住職が結願の証明を読み上げた後、星野さんは断食後初めて薬湯「朴の湯」を口にし、本尊を3周して13日以来続いた行を終えたという。

 午前3時前、堂の正面の扉が開かれた。星野さんのほおはこけ、両脇から僧侶に支えられて自坊へ向かった。冷たい風が吹く中、縁者や信徒約600人が境内を埋め、「生き仏」となった星野さんに手を合わせた。泣きながら不動真言を唱える女性も多く、厳粛な雰囲気に包まれた。

 堂入りは、700日の回峰を終えた行者が堂にこもって不動真言を10万回唱え、不動明王と一体となることを目指す。

 星野さんは来年、赤山禅院(京都市左京区)を往復する赤山苦行、最終年の前半は京都市内を回る「大廻り」に臨む。

 京都新聞電子版にでていた薬湯「朴の湯」が気になってググって見ました。
2003年11月18日(火)
本草綱目(ほんぞうこうもく)にはたいがいの生薬が網羅されておるんよ、朴の木の皮は掲載されておるんだが、朴の葉(ほおのは)は掲載されておらんのよ。傷寒論(しょうかんろん)にも厚朴(こうぼく)といって朴の木の皮がでてきます。厚朴の働きは気を降ろして消化を助けます。消化管は口から肛門に向かって食べ物が進んでいくように流れが出来ておるわけよね、しかしストレスが加わると気が逆流したり、食べ過ぎたり便秘すると気が止められたりします。そういう状態になると食べ物が流れに乗っていけなくなるわけよ。内部でこんな状態になると外部ではお腹が張ったり、痛んだり、のどが塞がる感じがしたり、息が苦しくなったり、精神的に落ち着かなかったりします。そんなときに厚朴(こうぼく)で気を降ろして、消化管内の食べ物が先に進むようにするんです。ですから9日間の堂入りの行が終了して「朴の湯〜!」と雄叫びが上がったら、おいらは朴の木の皮を煎じて献上しますわ。意味としては食べ物や水が9日間も通過しなかったら消化管内の流れがおかしくなってると思うのよ、そこで厚朴の煎じ液を注ぎ込んで消化管内の気の道筋をつけてあげるわけよ、それでも葉っぱを使用するんかなあ、どうでしょうか?
2003年11月17日(月)
昨日、国営放送もどきの局で再放送なんだが比叡山で千日回峰の行者をやっておりましたですねえ、その行者は酒井雄哉(ゆうさい)さんです。千日回峰を満行した人は400年で約40人だそうですわ、10年に1人ということなんだけど、このおっちゃんは2回もやった化け物ですわ。この修行は初めたらどんな理由があろうともやめることができず、修行ができなければ自ら命を絶つそうです、その為ひもと短剣を持参しておるようで実際それを使用した行者もおったそうです。1日2食でうどん、じゃがいも、とうふ、みそ汁なんてメニューでしたわ、3時間位の睡眠で一日平均40キロの山道を走破するそうです。千日で地球1周の距離らしいですわ、カロリーの観点から考えると収支があわんと思うねえどうなっとるんじゃい〜。5年目の700日(7年で満行)を終えると9日間の堂入りといって不眠不休、水さえも飲まない難行をやるんだわ、水を飲まないと血液や血行に問題が出そうなんだけど、超人なんだねえ。この難行が終了すると「朴の湯〜!(ほおのゆ)」なんて雄叫びがあがり、朴の葉を煎じた薬湯を持ってくるんだが、行者はそれを一口飲むのよ、朴の葉にどんな薬効を求めておるんですかねえ知っておる方いらっしゃいますかあ?

« 前ページへ次ページへ »

HTML convert time: 0.632 sec. Powered by WordPress ME